台風と大雨が続く気象の季節で、信長の負け戦が思い出される。
信長が斉藤龍興に木曽川河野島で大敗を喫する。(永禄九年(1566)閏8月8日)
永禄三年(1560)五月、桶狭間の戦いで大敵今川義元を討ち取って勢いに乗った織田信長は、次なる攻撃目標を美濃の斎藤氏に定める。
信長は居城を清洲城(愛知県清須市)から小牧山(同小牧市)へ移し、同五年に信長と対立して斎藤氏に通じていた織田信清の犬山城(同犬山市)を攻め落とす。
同八年には東美濃の宇留摩(鵜沼)・猿啄両城を木下秀吉・河尻秀隆らの活躍で攻略し、続いて堂洞・加治田・関の各城も調略や力攻めで奪う。
それまで信長は斎藤氏の前に苦戦していたが、龍興の代になると求心力が次第に低下、前年には竹中半兵衛重治が稲葉山城を一時乗っ取る事件も起き、麾下の国人衆は龍興に見切りを付ける者が出始めてた。
永禄九年の八月二十九日、信長は木曽川を渡って美濃へ侵入、河野島(岐阜県岐南町周辺)へ兵を進めると、龍興も稲葉山城を出て境川を隔てて対峙した。
ところが激しい風雨に見舞われて川が増水し、木曽川を背にした信長勢は戦うことも退くこともままならない状態となり、ようやく風雨が収まって水が引き始めた。
この日、斎藤勢が総攻撃を仕掛けました。信長勢は果敢に応戦したが、背後に木曽川があるため軍の後退が出来ず苦戦、一部の兵は兵具を捨てて木曽川へ入り逃げようとしたが、渡り切れずに流されて溺死する者が続出、前代未聞の大敗を喫した。
2014年8月8日金曜日
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