昨日のテレビで、吉良上野介の領有地だった吉良町の紹介があった。
忠臣蔵の「悪役」として有名な上野介の評価は芳しくないが、領地三河国幡豆郡では、貞享3年(1686年)に築いた黄金堤による治水事業や富好新田をはじめとする新田開拓や人柄から名君とされ、地元では慕われていると言われてきた。
吉良町には赤馬という郷土玩具が存在するが、これは義央が赤馬に乗って領内を視察したのを機に作られた玩具だとされる。
(しかし、吉良家のような旗本は、一部の例外を除けば参勤交代がない定府であり、江戸に常住して領地は幕府が任命した代官に任せるのが一般的である。そのため、義央も領地を殆ど訪れた形跡はなく、領民に接する機会は無かったと思われる。黄金堤も、元禄よりも前に作られていたことが判明しているという.)
2014年11月4日火曜日
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