2014年10月25日土曜日

行動経済学と二宮金次郎

今日は北九州大学神山教授の「行動経済学」の話を聞いた。
経済は勘定ではなく、感情で動いていると考える学問だという。
人間は脳の二つの基本システム(感情と理性)の「せめぎあい」から行動する。
理性をベースとした社会規範と、感情をベースとした市場規範のバランスで経済活動は行われているが、心理学の知見や脳科学実験などを取り入れて、経済の動きを解明する。
具体的な心理事例としては次のような断片的な紹介があった。
事例1:アンカリング
  事前に知らされた情報に惑わされる。その数値より、少ない数値だと安いという心理がはたらく。
事例2:利益分配
  8:2では絶対反対だが、6:4なら妥協する。(統計的事例)
事例3:決断の環境
  直接の行動や対話では感情が強く働くが、メールなどでの間接的対話では理性が強くなる。
事例4:現状維持優先
  勝ちより負け、利益より損失のほうが心理的インパクトが大きい。損失の少ないほうを選択する。
事例5:過去・歴史の後付
  勝者側の後付説明が多く、そのアンカリングに流されやすいが、敗者側の事実や心理も解明する必要がある。
昨日たまたま二宮金次郎のテレビ番組をみた。彼の道徳論だけが世の中に流布しているが、農村改革業績には、農民心理を巧みに取り入れた報徳の制度があった。
桜町改革の報徳生活は「勤労、分度、推譲」の三原則を基本としたが、5年の期限つきで無税のアンカリングを与えた。
【勤労】は生活の基本であり自助努力の大原則だが、同時に知恵を働かせて労働を効率化し、社会に役立つ成果を生み出すという自覚と意欲を重視している。
【分度】は経済的には、収入の枠内で一定の余剰を残しながら支出を図る生活。経営の確立、計画経済の基本だが、この余剰が、明日の、来年のそして未来の生活、生産の発展と永安のための基礎資源となる希望をもたせた。
【推譲】は、分度生活の中から生み出した余剰、余力の一部を、各人が分に応じて拠出する。これが報徳資金になり、相互扶助、公共資本あるいは弱者、困窮者救済に宛てられ、家政再建、町村復興、国づくりに拡がっていった。
尊徳は桜町領復興に当たり、小田原の田畑家屋敷、家財を全て売り払い、それを仕法の資金として推譲したという。
日本は明治維新以降、欧米の合理主義経済を吸収したが、偏重して利益第一主義を推し進め、「大量生産、大量消費、大量廃棄」を生み、「モラルよりモノ・金」を優先させることになり、多くの問題(資源の浪費、食料自給率の低下、環境破壊、家庭・地域の軽視、企業の犯罪等)を発生させることになっている。
市場規範一辺倒もだめ、社会規範一辺倒でもだめ、両者がバランスよく一体となった社会でなければならない。
この一元化を説いた二宮尊徳の思想が再評価され、行動経済学として発展する機運が高まっている。

2014年10月14日火曜日

日本のオリンピック参加

東京オリンピック50年でテレビ番組が多いが、残念なが東京まで出かけて観戦する余裕が当時はなかった。
テレビやラジオで見聞しただけで、あとで会社の幹部が観戦して撮影してこられた8ミリ映画をみなで見せてもらったたりした。
実行委員会の委員長だった安川第五郎氏の開会式のスピーチを、ご本人は完全録音をもらっていないということだったので、私がソニーの録音テープで全部録音していたものを届けて、喜ばれたことが唯一の直接関係した貢献であった。
当時のスポーツ雑誌特集号2冊を買って保存している。これを読み直してみると、日本がオリンピックに初めて参加した1912年のストックホルム大会(第5回)の記事に感銘をうけた。
オリンピックを世界的な運動にするため、クーベルタンはアジヤにも参加をよびかけた。日本の文部省はさっぱり関心を見せないので、日本のスポーツ教育推進を志していた嘉納治五郎がIOC委員となり、また大日本体育協会をつくって、資金集めに奔走したり、国内競技の予選会を行ったりした。
結局短距離の三島弥彦とマラソンの金栗四三の2選手が参加したが、世界レベルとの差が大きく、三島選手は100m、200mで予選落ち、400m準決勝で棄権、金栗選手は18Kmで落伍の結果におわった。
このときの参加国は27ヶ国にすぎなかったが、第11回のベルリン大会では49ヶ国の参加と、漸増していった。
日本でもこの参加以後世界のスポーツへの関心がたかまり、(第6回ベルリン大会は世界1次大戦で流れたが、)第7回アントワープ大会には15人の選手を派遣をするようになった。
嘉納治五郎といえば講道館の柔道だけを思い出すが、日本のスポーツ振興の推進者だったことを再認識した。 

2014年10月13日月曜日

新幹線50年

昨日、東京オリンピック50年の番組とセットで、新幹線50年の番組がながれていた。
再放送もので、H10と12年に放映されたものらしいが、当時は見てなかったので、興味深くみた。
新幹線プロジェクトの提案技術者として、車体の形状設計の三木氏、ATCのシステム開発の河辺氏、高速車両の横揺れ振動防止のため空気バネを開発された松平精氏の3人が登場した。
特に松平氏とは生前に数年間仕事で交際があったので、懐かしい姿であった。
松平氏は戦前は零戦の開発で有名な技術者で、戦後は国鉄総合研究所で、新幹線プロゼクトリーダ役であったし、晩年はIHIの研究所長であった。
国東半島の杵築城主の末裔で、背が高く古武士然たる風格は威厳に満ちていた。
ラストシ-ンの後ろ姿はさすがに少し背中が少し丸くなっていたが、H10年の放映のあと亡くなられたようだ。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/sinkansen/zerosen.htm
息子も幼稚園生ではじめて東京ー京都間を新幹線に乗った時のことを思い出して、懐かしがっていた。

2014年10月5日日曜日

活火山の見分け

御嶽山で大きな災害がおきて、活火山の話がマスコミに沢山登場している。
小学校の修学旅行ではじめて阿蘇山に登ったときの緊張感を思い出す。
当時学校で教えられた国内の火山は、千島火山帯、那須火山帯、鳥海火山帯、富士火山帯(富士箱根火山帯、富士箱根伊豆火山帯)、乗鞍火山帯、白山火山帯(大山火山帯)、霧島火山帯の7つの火山帯(火山脈)で、北部九州は白山火山帯の中にあると教わったが、今はあまりこの名前は聞かなくなった。
今日、中学時代の教科書をひらいてみたら、白山火山脈と記載されている。
白山は石川県にあり少し距離が離れすぎるし、せめて大山火山脈と呼ぶほうが良いと思っていたが、最近の研究では、これが構造的に東日本と西日本に別けられているようだ。
昔学校で習ったのは単なる地理的な区分であって、その後、個別の火山の岩石学的研究が進み、さらにプレートテクトニクスの研究が進んで、プレートの沈み込みに伴うマグマ発生・上昇・火山形成過程が明らかになってくると、火山学上はこのように細かく分ける意味がなく、逆に形成過程のまったく異なる火山を同一の火山帯に区分していた場合もあることがわかったからだ。
現在では日本の火山を火山帯に区分する場合、プレートテクトニクス理論に基づき、太平洋プレートの沈み込みに起因するものを東日本火山帯、フィリピン海プレートの沈み込みに起因するものを西日本火山帯と呼ぶそうだ。
この二つの火山帯は、太平洋内の日本海溝および南海トラフと平行している。
上記の古い火山帯区分で言うと、白山火山帯(大山火山帯)は狭義の白山火山帯(中部・北陸地方)と狭義の大山火山帯(中国地方)に分けられ、千島火山帯から狭義の白山火山帯までが東日本火山帯、狭義の大山火山帯から霧島火山帯までが西日本火山帯になる。
御嶽山は東日本火山帯がくの字に折れる曲がり角にある。
プレートが移動しているので、火山も当然移動するから、火山帯を火山前線(火山フロント)とよんでいる場合もある。