2014年4月26日土曜日
考古学の格差
日本の考古学では約2000年前の卑弥呼の墓や師王の墓が九州か吉備か
大和かと論議されているが、確証は何一つ解かっていない。今日のEテレで
は3300年前の古代エジプトの若い王、ツタンカーメンの歴史番組があった。(再放送らしい)。19才の若さで亡くなったとされるミイラを最新技術を駆使した調査により、ツタンカーメンの両親、祖父などが、ミイラのDNA解析によって次々に判明した。調査の過程を密着取材し、再現映像を交えて、ツタンカーメンが生きた古代エジプトの世界を明確に伝えていた。日本の考古学との格差を痛感させられた。
2014年4月23日水曜日
歴史は繰り返す
韓国南西部珍島(チンド)沖で沈没した旅客船「セウォル号」の事故原因は、急旋回したことで過積載の積み荷が荷崩れし、転覆に至ったとの見方が有力だ.しかしこの海域では宋・元時代の貿易船沈没事故などがあり、当時の日本に運ばれる商品が沢山発見された場所である。1975年に全羅南道新安道徳沖海底より、中国の宋・元代の陶磁器が地元漁師のえび網から偶然に引き揚げられた。1976年に、韓国海軍潜水チームの協力を得て調査したところ、大量の陶磁器を積んだ船が発見された。その後の発掘調査で船荷の中から日本の「東福寺」の木簡が発見され、当沈船が14世紀はじめに、中国の寧波、高麗、日本の博多の三国間を航路とする中国元代の貿易船であると推定された。高麗青磁を含む何万点もの学術的に価値の高い陶磁器類などの引き揚げにより、一躍世界の脚光をあびることになったのは周知のとおりである。1983~1984年に、同じ韓国南西部の莞島海域で今度は朝鮮の伝統的建造方法を使った貿易船が出土した。この貿易船は、海南地方窯産の30,000点以上におよぶ青磁から11世紀中・後半頃活躍した船と推定され、この船が古来より朝鮮に伝わる伝統的な造船技術、船体構造を知る上で極めて重要な発見となった。潮流が早く回避すべき暗礁などが多い危険な場所だったことは昔からだったらしい。
2014年4月22日火曜日
田園シンフォニー
九州の観光列車といえば七星が有名だが、人吉から湯前までのくま川鉄道にも観光列車が走っているそうだ。田園シンフォニーと名づけられて、ゆっくり田園風景を眺めながら走るのがテレビで紹介された。その中間の駅「あさぎり」で地元の人のおもてなしが行われていた。あさぎりの名前でふと先月の鳥インフルエンザの被害のニュースを思い出したが、この番組では全くふれられなかった。古い地図にはあさぎり町はみあたらないが、2003年4月1日 に 球磨郡上村、免田町、岡原村、須恵村、深田村の5町村が対等合併し、あさぎり町が発足した。町名の由来は秋から春にかけて球磨盆地にしばしば発生する朝霧からという。この街道は西南戦争で西郷軍が人吉から延岡に逃れるとき通った道で、付近の人は西郷札の被害にあった可能性もある。田園シンフォニーで、これらの被害がとりもどせたら幸いだ。
2014年4月18日金曜日
STAPとは?(追記)
2014・4・18
理研の笹井氏の会見は多くのテレビ局が報道した。
STAP細胞とよばれるものが存在するのか?という疑問に対して、STAP現象といえる有力な仮説が成り立つというような説明であった。
専門外のものにはさっぱり解からないが、万能細胞に近いものが、できる可能性が少しは残されているようだ。
厳しい評論家はSTAP現象ではなく、STAP幻想だと言っていた。当初言われたように簡単に万能細胞ができる可能性はなさそうだ。
しかし細胞の突然変異という言葉があるように細胞とはまだまだ不可思議な現象の多い世界だ。
あらためて最初から一貫した研究をやりなおしてもらいたい。
野口英雄だって間違った発表をしたことがある世界だ。
2016・5・14
今年3月10日、ドイツの名門大学、ハイデルベルク大学の研究グループがSTAP関連の論文を発表した。その情報の概要は次の通り。
<小保方氏が発見したSTAP現象を、がん細胞の一種であるJurkatT細胞を用いて再現実験を試みた。
同細胞に対しては、小保方氏がネイチャーで発表した細胞に酸性ストレスをかける方法ではうまくいかなかった。
ハイデルベルク大学の研究グループは、独自に修正した酸性ストレスをかける方法を試してみたところ、細胞が多能性(体のどんな細胞になれる能力)を示す反応を確認した。
それと同時に細胞が死んでしまう現象も確認された。
今後、何が細胞の運命を分けているのかを探っていきたい>
理研の笹井氏の会見は多くのテレビ局が報道した。
STAP細胞とよばれるものが存在するのか?という疑問に対して、STAP現象といえる有力な仮説が成り立つというような説明であった。
専門外のものにはさっぱり解からないが、万能細胞に近いものが、できる可能性が少しは残されているようだ。
厳しい評論家はSTAP現象ではなく、STAP幻想だと言っていた。当初言われたように簡単に万能細胞ができる可能性はなさそうだ。
しかし細胞の突然変異という言葉があるように細胞とはまだまだ不可思議な現象の多い世界だ。
あらためて最初から一貫した研究をやりなおしてもらいたい。
野口英雄だって間違った発表をしたことがある世界だ。
2016・5・14
今年3月10日、ドイツの名門大学、ハイデルベルク大学の研究グループがSTAP関連の論文を発表した。その情報の概要は次の通り。
<小保方氏が発見したSTAP現象を、がん細胞の一種であるJurkatT細胞を用いて再現実験を試みた。
同細胞に対しては、小保方氏がネイチャーで発表した細胞に酸性ストレスをかける方法ではうまくいかなかった。
ハイデルベルク大学の研究グループは、独自に修正した酸性ストレスをかける方法を試してみたところ、細胞が多能性(体のどんな細胞になれる能力)を示す反応を確認した。
それと同時に細胞が死んでしまう現象も確認された。
今後、何が細胞の運命を分けているのかを探っていきたい>
日本の一部の専門家は、小保方氏がSTAP細胞のレシピ(詳細な作製手順)を公表するサイト「STAP HOPE PAGE」を開設した際にも、「STAPを今さら研究する研究者は世界にどこにもいない」と批判していたが、それが完全な間違いであったことが証明された。
ネイチャーのSTAP論文が撤回された理由は、小保方氏が発見した「STAP現象」の否定ではなかった。
小保方氏の人権を蹂躙するかのようなマスコミがつくり上げた世論に同調し、常識を逸脱した禁じ手まで使って論文をなきものとして責任逃れをした理研や早稲田大学と比べ、真摯に生物学的現象を追究するハイデルベルク大学のニュートラルな姿勢は、科学に向き合う本来のあり方を教えてくれる。
ハイデルベルク大学が発表した今回の論文によって、STAP現象に対する世界的な関心が再び高まっていくかもしれない。
小保方氏の人権を蹂躙するかのようなマスコミがつくり上げた世論に同調し、常識を逸脱した禁じ手まで使って論文をなきものとして責任逃れをした理研や早稲田大学と比べ、真摯に生物学的現象を追究するハイデルベルク大学のニュートラルな姿勢は、科学に向き合う本来のあり方を教えてくれる。
ハイデルベルク大学が発表した今回の論文によって、STAP現象に対する世界的な関心が再び高まっていくかもしれない。
2014年4月10日木曜日
リケジョ裁判
小保方リケジョの会見が昨日今日と各テレビ局のニュース番組のメインになっている。STAP細胞の有無よりも論文作成のミスが主題で、共著者に不正がなく、リケジョだけを罰するというおかしな展開だ。
バイオの世界の門外漢には解からないことばかりだが、リケジョの孫もいることで、少し気になる事件である。
リケジョは研究室をわたり歩くしかなかったという研究組織のありかた。キューリ夫人の伝記でも男女差の苦労が記されているが、現代でもまだ組織のなかでの差別が存在していることがこの事件はしめしている。
200回もつくったことがあるというSTAP細胞が保存されていないのか?ノートの数ばかりいう故老の審査員だが、計測器やパソコンの記録などに保存されていないのか?第三者も成功したという確証があるのならば、しっかり証明できないのか?共著者が疑問をもちはじめた経緯などの会見をはっきりと2時間かけて発表してくれないか?ハーバード大学の教授のコメントが伝えられないのは何故だろうか?頼りない弁護士だったが今後の取り組みは大丈夫だろうか?次のノーベル賞を期待る応援団の気持ち。
2014年4月7日月曜日
三陸の地名
三陸鉄道復旧のニュースはうれしい。三陸の名前は三陸地震でもっとも良く使われる。明治元年12月7日(1869年1月19日)、奥羽越列藩同盟諸藩に対する戊辰戦争の戦後処理が行われた際に、陸奥国と出羽国は分割され、陸奥国(むつ)は陸奥国(りくおう)・陸中国(りくちゅう)・陸前国(りくぜん)・岩代国・磐城国に5分割された。このとき生まれた令制国名に「陸」がついている陸前・陸中・陸奥の3国を「三陸」(または陸州)と総称するようになった。しかし「三陸」は、明治中期まで行政地名として使われるのみで一般にはほとんど知られておらず、明治29年(1896年)の明治三陸地震の報道によって一般に広まった。越前、越中、越後のように歴史のある地名ではない。奥の細道と軍艦陸奥の名前だけは有名だった。今の東北地方は私の小学生時代の教科書では奥羽地方と呼ばれていた。
2014年4月6日日曜日
フィレンチェラビレンス
昨夜のBSドラマは久しぶりに面白かった。
ノンフィクションライターの杏が、500年前の彫刻家デジデリオの血をひくと言われて、その作品を調べにフィレンチェにでかける。デジデリオが作った著名な司教の墓の謎をとくまでのプロセス。前半は緩やかな展開でフィレンチェの街案内が展開するが、後半は急テンポで謎への解明にせまる。2時間ものを久しぶりに楽しんだ。ただ占い師との関係はあいまいなままだった。
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