2014年4月7日月曜日

三陸の地名

三陸鉄道復旧のニュースはうれしい。三陸の名前は三陸地震でもっとも良く使われる。明治元年12月7日(1869年1月19日)、奥羽越列藩同盟諸藩に対する戊辰戦争の戦後処理が行われた際に、陸奥国と出羽国は分割され、陸奥国(むつ)は陸奥国(りくおう)・陸中国(りくちゅう)・陸前国(りくぜん)・岩代国・磐城国に5分割された。このとき生まれた令制国名に「陸」がついている陸前・陸中・陸奥の3国を「三陸」(または陸州)と総称するようになった。しかし「三陸」は、明治中期まで行政地名として使われるのみで一般にはほとんど知られておらず、明治29年(1896年)の明治三陸地震の報道によって一般に広まった。越前、越中、越後のように歴史のある地名ではない。奥の細道と軍艦陸奥の名前だけは有名だった。今の東北地方は私の小学生時代の教科書では奥羽地方と呼ばれていた。

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