2014年5月7日水曜日

行く春や

松尾芭蕉の俳諧紀行文、「奥の細道」『旅立ち』の矢立ての句、「行く春や鳥啼き魚の目は泪」はちょうど今頃の季節の句だが、その句解は素人には難解な句だ。鳥と魚の組み合わせを古い漢詩や和歌との関連で解釈する人も多いようだ。いろんな説があるが、今日次のようなやや納得のいく解釈をみつけた。 「奥の細道」の最初の句だが、矢立ては芭蕉は一応千住の送別会で、「鮎の子の白魚送る別れかな」と言う秀句を捻出した。けれども半年に及ぶ「奥の細道」の旅がようやく終焉しようとした時、最後の句は「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」と言う句であった。この句は、「奥の細道」の結句として申し分ない。だから、矢立ての句は、「行く秋」に合わせて、「行く春」で行こうと、芭蕉はあれこれ呻吟し「行く春や鳥啼き魚の目は泪」の句に、切り替えたのである。  芭蕉が見た「魚の目は泪」は、実は送別の宴会場で、配膳にあがった白魚で、この季節、隅田川の風物である。白魚は生きたままか、死んだばかりの状態でなければ食することは出来ない。すぐに痛んでしまう繊細な食材である。当時、冷蔵庫も冷凍装置も存在しないから、現地千住でなくては食することの出来ない、食の極致が白魚であった。その小さなかわいい白魚の、そのまた小さなかわいい目に、なぜか芭蕉は注目するのである。そこには小さなかわいい春が凝縮され、小さいかわいい生の営みが凝縮されている。畢竟、「魚の目は泪」とは、小さなかわいい春と生の営みとに流す俳人芭蕉の泪なのである。それがこの句の俳趣となっている。最初の句「鮎の子の白魚送る別れかな」でも芭蕉は自分を白魚と感じていた。  中句「鳥啼き」が春の絢爛豪華で広大な世界を描くのに対し、下句「魚の目は泪」は、小さくかわいいながらも、確実に存在する微細な春の生の営みを紹介するとともに、そういうかわいい生き物を食しないでは生きていられない人の悲しい性をも描く。時代はまさに綱吉の生類憐れみ令の時代である。   冠辞は長い時間を、中句は広大な空間を、そして下句は微細な生の営みをと、三句三様の風景はいずれも趣き深く、味わい深い。この句を創作し得た時、芭蕉はうち震えるような感動を覚えたに違いない。同様に、この句を鑑賞すrう読者も、芭蕉と同等の感動を共有し得ない限り、とても芭蕉の句を味わったことにはならない。     

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